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女一人の居酒屋

2005年07月01日

 千葉駅についた時は、7時を回っていた。
 昼間の容赦ない熱気が色濃く残る、真夏の夕方である。私はその時期、精神保健指定医の資格を得るための研修中で、自宅から千葉県にある精神病院に通っていた。といっても片道3時間半近くかかる道のりではさすがに毎日は無理なため、自分の病院での週1回の外来日以外は研修病院の敷地内にある宿舎で寝泊りしていた。今日はその外来日で、仕事を終わり千葉に戻って来たのである。
 千葉駅までで既に3時間かかっていた。時間も時間であり、移動疲れを癒す休憩も兼ねて、駅内の食堂街で夕食を摂る事にした。先週とは違う店を……と思い、その日はあるチェーン系列の大衆居酒屋に入った。居酒屋といってもショウウインドウには様々の釜飯セットなど、食事類も多く展示してあったからだ。
 客がどんどん入る時間帯だったので少し待たされたが、間もなく2人がけの小さなテーブル席に案内された。そこは同じ小テーブルが3卓並んでおり、私は真中の席に促された。
 右隣の席には先客がいた。また、私が食べ初めて間もなく、左隣にも1人客が。両人とも20代後半から30代始めの働く女性のようである。期せずして、同年代の女性1人客が並んだことになる。
 私はウインドウで目をつけていた釜飯セットと、気付けに生ビールの小さ目のジョッキを頼んだ。疲労と暑さでへばりかけていた。しかしまだ病院まで3、40分かかる。アルコールに弱い私がこれ以上飲んだら帰れなくなってしまう。
 自分の食事が来るとそれを食べつつも、隣の2人が気になり、ちらちらと観察した。右隣の女性はおつまみを3、4品並べ、枡酒をちびちび舐めながら、膝に置いた雑誌を何やら熱心に読んでいる。時々タバコもふかす。私が食事を終わる前に1杯目を飲み終え、あるお酒の銘柄を指定し次の盃を重ねていた。その行動は、1人でふらっと飲みに入ったサラリーマンと変わらない。だが彼女は1度も顔を上げようとしなかった。雑誌もタバコもお酒も、女1人で居酒屋にいることの居心地の悪さからガードする小道具のように感じたのは、私自身の気持ちの投影だろうか。
 左隣の女性は、迷った末、私とはまた別の釜飯セットを選んだ。アルコールはつけなかった。完全に定食屋としてここを利用することにしたようだ。彼女は食事が来ると脇目も振らずせっせと食べ、それが終わるとすぐに席を立って行った。
 私は食後、まだ少し残っていたビールをぼんやりしながらゆっくり流し込んだあと、店を出た。右隣の彼女はまだ圭境に入ったところらしい。結局、入店したのと逆の順番で私たち3人は帰ったことになる。
 女性の社会進出、飲酒率の増加がいわれて久しい。しかしお酒の出る場で女1人がくつろぐところまでいくのには、まだ少し時間がかかりそうだ。
 長い間、飲み屋やバー、そして定食屋も、男性主体の行き先だった。1人ならなおさらである。1人で入った男性は何事か考えにふけりながら一杯やる、タバコを吸う、あるいは定食をかきこみながらスポーツ新聞を読むか、お店のおやじともども世間話の傍らプロ野球中継を見る、というのが大方の傾向ではないだろうか。
 だがこれらはどれも女性1人客の気持ちを引かない。第一そういう場に1人で行くこと自体、「男漁りに来ている」とか「もの欲しそう」と誤解される歴史があった。だから本当に「今日は外食したい気分、自宅で作るには疲れているし」とか「家以外のところで美味しいお酒を少し飲みたい」といった単純な欲求が、単純に満たされない。「舐められないようにせねば」と肩に力が入ったり、その上、シングルの場合は「寂しい独り者と思われるのではないか」という自意識まで加わって、真にやりにくい。最近、働く女性向けの雑誌で「女1人でディナーできるお店」「1人で飲めるバー20軒」等の特集が組まれている。東京都心では最近食事メニューも豊富なカフェが次々オープンし、新しい定食屋として「カフェ飯」を楽しいもう、という気運があるようだ。また、「女性1人客でも入り易い」をコンセプトにしたチェーン系列の定食屋を見かけるようになった。
 こういうお店が増えるのはとても喜ばしい。これからもどんどん増えていって欲しいし、女性1人で外で飲み食いするのが珍しくもない時代に確実になってきているのだと思う。しかし同時に、ごく普通のバーなどでも、工夫次第でもう少し居心地が良くなるように思う。
 1人で飲みに入って1番困るのが、注文した品が出てくるまでの間や飲む合間、手持ち無沙汰なことである。喫茶店などなら文庫本の一冊もあれば問題ないが、バーなどではちょっと不似合いだし、第一照明が暗すぎて読みづらい。かといって顔を上げれば目の前は酒瓶の棚、あるいは他の男客、では目のやり場に困る。じっと見るわけにはいかないし、かといってあちこちキョロキョロしたらまたあらぬ疑いをかけられるのではないかと気になり、結局うつむくしかない。これではつまらない。
 思うに、そんな時店内に何か目立つもの――大きな花瓶一杯に行けられたフラワーアレンジメントとか、きれいなオブジェとか、あるいは美しい環境ビデオとか――があれば自然にそこに視線を向けられるので良いのではないか。文字通り、それを「目当て」、つまり「視線を当てる」対象物として利用する。そういうものを見るともなしに見ながら考えにふけり、ゆったりとグラスを傾ける……。
 こういうお店に私は行きたい。

書いた人 浜野ゆり : 2005年07月01日 22:07

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