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理想の死に方

2005年07月03日

 「ウオーターシップ・ダウンのうさぎたち」(原題"Watership Down")という小説がある。20年以上前にアメリカでアニメ化され、日本でも短期間上映された。私はこの原作が好きで、高校生の時初めて読んだ。非常に感銘を受けた物語であるが、その中でも特に、主人公が亡くなるラストシーンが実は最も印象的であった。
 この物語の中では、ウサギが死ぬ時にはクロウサギの「お迎え」があるという伝説がある。物語の終わりでは、主人公のウサギ、ヘイゼルは長老となり、最近はうつらうつらしながら過ごすことが増えてきていた。以下はそういった日の、早春の午後のことである。
 巣穴の奥でヘイゼルが寝ていると、1匹のウサギがやってきた。「私を知っていますか?」と彼は言った。
 「ああ、もちろん。」とヘイゼルはいい、また後輩のウサギの誰かが彼のアドバイスを聞きにきたのだなと思い、薄目を開けた。
 その時、薄暗がりの中で、相手の両耳がかすかに銀色に光るのが見えた。
 「はい、知っています。」と彼は答えた。(原文は“Yes,my Lord. Yes, I know you.”)

「お前は大分疲れているようだね。大丈夫、後は後輩たちが上手くやってくれる。何も心配は要らない。さあ、私と一緒に行こう。」

黒ウサギは出て行った。ヘイゼルも従った。そして2匹は共に、サクラソウの咲き始めた丘を越えていった。

というシーン。これはいつしか、私の理想の死に方になった。「自宅で老衰で、眠るように死ぬ?普通に皆が希望する死に方ではないか」と思われるかもしれないが。しかしこれにはバリエーションがあって、自宅でなくても、旅先でも、その辺の行き倒れでも良いなー、と思うのである。

 これもアニメだが、かつて「カルピス劇場」と称する、日曜夜7時から放映していたアニメシリーズ。この中の「ペリーヌ物語」という作品の中で、ヒロインのペリーヌが目的地に歩いて行く途中、空腹と疲労で、道端に行き倒れてしまうシーンがある。主人公なので結局は助けられるのだが、いよいよ倒れると感じた時彼女は「せめて姿が人目につかないように」と、道を外れ、林の中に這うように入り、樹のたもとにどさっと倒れ込むのである。

 「うん、(本能の残っている)猫や(墓場にいくという)象みたいで、こういうのも良いなあ」と思う。

 あるいは自分がおばあさんになった時を想像して、以下のようなイメージを浮かべる。「私は森の中のログハウスのような家で、自給自足に近い生活をしている。時々若い女性たちがやってきて、話し相手をしてくれる。それと引き換えに、私は彼女らにヒーリングや占いの技術を教え、ハーブの植え方や処方の仕方を教える。」現代版魔女のばあさん生活である。

 「ある日私はいつものようにキノコを採りに森に入ったが、疲れたので樹の根元に腰を下ろした。何だか眠くなってきたのでそのままうたた寝しているうちに死んだ。数日後、生徒の女性の何人かが私の不在に気づき、山を探し回り、私の遺体を発見。ログハウス近くの地面に埋めてくれた。」

というのがバージョン2である。

 あとは「旅先で野垂れ死に」「突然重度の脳卒中を起こし死ぬ」「交通事故で即死」とか、いろいろあるのだが、願わくはあまり痛い思いをせずに死にたい。痛みを長く伴う病態ならば、しっかり鎮痛処置を受けられる環境にいたいものである。

 長年ホスピスで働き、自分の母親を含む多くの癌患者を看取ってきた、医師である友人の森津先生は「私は癌で死にたい」という。癌の痛みはほとんどの場合、正しく鎮痛薬を使えば(現代日本の病院で正しくモルヒネを使える医師は決して多くはないのが難点だが、もちろん森津先生は自分でわかる)抑えられるし、病気を知ってから実際に死ぬまでに数ヶ月前後の猶予があるので、その間に自分も周りの人たちも気持ちの準備をできるからだという。

 ところで、猛獣を研究対象にする人は、その対象に殺されるという場合が時々ある。ライオンを子供の時から育て、研究した女性で『野生のエルザ』という著書を持つジョイ・アダムソンは(エルザではないが)ライオンに殺されている。またヒグマをはじめ、北極地方の野生動物の優れた写真集を出版した星野道夫も、いつものごとく野外でテントを張って就寝中、ヒグマに襲われて亡くなった。これは大変な死に方だが、しかし、当人としては本望だったかもしれないなあ、とも思う。

書いた人 浜野ゆり : 2005年07月03日 09:13

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