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十牛図とは

2005年07月25日

十牛図とは、道教における悟りへの10段階を絵柄に表したものです。
「十牛図とは、牛を捕まえる過程を描くことで、人間の悟りへの階梯を説いた、絵による禅の教典である。十枚の絵には各々、作成者による短い領や序が付録する。瞑想する人は、この十牛図と自己の精神的探求のプロセスを重ね合わせることで、自分がいま、どのような位置にいるのか、次になにが必要なのかを判断するのである。」(松村潔『意識の10の階梯』VOICE より)
ライフシンボル講座では、この十牛図を自分自身で描く過程、及びその作品を日々見ることによってこれが「自分のオリジナルな曼荼羅、人生指針の象徴画」となり、特定個人に対して一層パワフルな影響を発揮することになるのです。
下記において、線画が一応の標準的な意味を表す図、カラーが私の十牛図です。線画は初めて「ペイント」で描いたもので、極めて下手っぴいですが、丁寧に描けば描くほど、個人色が入ってしまうため、あえてこの不細工な絵柄にとどめておきます。


<各図の超ダイジェスト解説>


第1図 尋牛(じんぎゅう)

若者(自分)の人生には何かが足りない。
生きる意味、充実感がない。
それを変えたいがどうしたら良いかわからない、
という漠然とした不安が基調の段階。

こちらの絵の解説はライフシンボル展示館へ。


第2図 見跡(けんせき)

牛(生きる意欲に繋がる情動、生命力)が
見つかりそうな予感がする。
それは興味のある分野を見つける、
そのジャンルの本を読み漁る、
同好の人達との交流を持つ、
学習するといった文化活動の段階である。
この活動の中に自分の牛への手がかりがあるのだが、
しかし他の「牛」の足跡もたくさん入り乱れている。
非常に多彩で楽しく、ともすると時間が経つのを忘れてしまう。
中には一生この段階に留まる人もいる。

こちらの絵の解説はライフシンボル展示館へ。


第3図 見牛(けんぎゅう)

「自分の『牛』はこれだ!!」と見つける段階。
実は牛は自分の中にあるもの、
自分が作り出すものであることに気づくのである。
ライフシンボル十牛図においては、
各作者独自の「牛の見つけ方」が端的に表れており、
非常にわかりやすい。

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第4図 得牛(とくぎゅう)

牛(情動、アストラル体)と若者(肉体)の葛藤の段階。
ここで充分にかつ互角に牛と格闘しないと、
以降の段階へ進めない。
ライフシンボル十牛図では牛と人の大きさや構図に、
2者の関係性がはっきりと表現される。

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第5図 牧牛(ぼくぎゅう)

牛と若者が調和する。もはや葛藤なく、
若者は牛の歩く方向に抵抗も不安もなく付き従う。
新たなステップに至る道がわかるのは、
牛だけだからである。

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第6図 騎牛帰家(きぎゅうきか)

若者が牛の背に乗り、笛を吹くと、
牛がその音に導かれて家路につく。
笛の音(音楽)は「調和」の象徴であり、
人生の最終達成イメージ(理想世界)である。
自分が目標とする達成イメージに沿って行動する結果、
「家」(社会の中での立場、定位置)に近づいていく。

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第7図 到家忘牛(とうかぼうぎゅう)

牛と若者は一体化し、もう対象化されなくなったために、
絵には牛は描かれていない。
第7図は社会の中で自分が頂点に立った時のイメージであり、
自分の社会的位置であり自己意識の完成図である。
自分なりの思想・理論がここで完成する。
ただし遠景で山と月が描かれており、
完成したと思った理論もまた矛盾点を含むこと、
家に居る自分のこの世界の他にも
別の世界があると暗示している。

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第8図 人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう)

7図の主題であった自己意識=主体=中心が溶解していき、
主体と客体が渾然一体となる。
中心のない、「散在する意識」の段階。
世界の中心が消えてはじめて、
世界の周辺、即ち外世界との境界に気づく。

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第9図 返本還源(へんぽんかんげん)

直訳すると「ありのままで良い、自然に還れ」。
ただし「自然」とは何か?
何を基準にして「自然」といえるのか?が問題であり、
この答えを探求するのが9図のテーマである。
この段階で、外宇宙と接触する。
身体も知性も有限だが、感情だけは無限なので、
感情を使って外宇宙とつながり、その力を得て戻ってくる。
外宇宙につながるとき
「神」としか表現できないような感情体験をするが、
それはこれまで住んでいた世界の
常識や観点の全く通用しない
人外魔境でもあり、大変不安で恐ろしい段階でもある。
地上からの力と外宇宙の力、即ち上下双方を取り入れ、
自分なりの平衡点を見つける。
それが自分の本性であり、自分にとっての「自然」なのである。

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第10図 入てん垂手(にってんすいしゅ)

「入てん」とは、街に入ることである。
9図で外宇宙に行って自分が変容し、本当の自分になった。
例えばタロットの流れでは、9図にあたる「世界」で自己完成し、
そこで話は終わるのだが、
十牛図においてはそれを次の流れ、
次の世代に伝えなければいけないという。
しかし自分(かつての若者、今や見た目不恰好なおやじ)は
決して宗教家のようにありがたい説教を垂れたりしない。
一見どうでもいいような、軽い話を話しかけながら、
いつの間にか(次の世代の)若者を惑わせる。
つまりは若者の「牛を逃す」。
牛を失ったことに気づいた若者は、それを探しに出かける。
かくしてまた新たなサイクルの「尋牛」が始まるのである。

こちらの絵の解説はライフシンボル展示館へ。

書いた人 浜野ゆり : 2005年07月25日 16:10