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(16)「適度」なスピリチュアル生活

2012年11月08日

 これらの例には、人が自らの身近な対人環境の構築に手を貸していることが示されている。人の受ける性的、情緒的あるいは社会的な反応は、その人の構築のあり方に左右されている。身近な対人環境は所与のものではなく、構築されるものなのだ。人はあれこれの反応を構築、つまり作り上げている。情緒的環境というものは、選択によって規定されるのである。(P.208-209、245-246ページ)
<引用終わり>


 今回の災害においても、被災地をはじめとする場所の日本人が、大きな混乱や犯罪の連鎖を起こすことなく、自然に互いを助け合い、思いやり、非常にがまんして改善を待つ辛抱強い様子が報道され、特に諸外国においてはこれが稀有な国民性として称賛されましたが、同時に「人災である原発事故まで、『仕方ない』と、おとなしく許容してしまうのはどうしてなのか」と、不審の目でも見られたとのことです。


 確かに、我々が「政治家が悪い、首相が、都知事が…」と批判するのはたやすいですが、自分たちがそうした政治家を当選させた責任や、おかしな政策に(諸外国の社会人や学生などのように)時には仕事も生活も中断して抗議活動を継続的に行う粘り強い意志力が不足しているのかもしれません(とはいえ今夏、毎週金曜日に国会議事堂前でここ数十年ないほどの大規模な市民デモが継続されたのに、政府側は全く無視を決め込むという、あきれるばかりの対応でした)。
 今後どう行動していけば良いのか…と、これは私自身も考えているところであり、むろん容易に答えが出るものではありません。


 今回の大震災で、東北方面の人々をはじめとして、生活はまだまだ苦痛に満ちているし、関東でも同年夏には東京電力による計画停電による生活の制限、生活物資や食料の(一時的ながら)不足、更には今年9月からは東電の尻拭い的な「勝手に電気料金アップ」が強行され、国民としては怒り心頭に発す要因が山のようにあります。
 事故直後の空中への放射性物質の飛散のみならず、2012年11月現在でも、汚染を受けた野菜や、魚への放射線蓄積、地下水汚染の影響も非常に心配です。


 2008年のリーマンショック以来、ようやく少しずつ景気回復が見え始めた矢先のこの災害で、経済復興はさらに遅延するのでしょう。
 だがそれでも、被災者へ何とか救援物資や義援金、あるいはボランティア活動を通じて手助けしたいという国内外の人々の思いは高まったし、「自分の本当の人生の目的は何なのか、このまま日々の暮らしに忙殺・埋没しているだけで良いのか」と考える人が増えました(その結果の一つとして、結婚や離婚を決意したり、本当にやりたかった仕事に踏み出す人も出てきたことも話題に上りました)。


 また「二酸化炭素を出さないのでクリーンだ」「安価で安全だ」と主張されてきた原発の真の危険度がどんなに巨大なものかも、国内外に知れ渡ることとなりました。
 そして生活の中で節電すること、自然エネルギー中心の発電に移行することへの必要性が、より実感を伴って国民に共有され始めています。


 今回の出来事は大きな試練ですが、人間と自然が無理なく共存できるような政治や経済機構に転換するための稀有なタイミングと捉え、この機会を無駄にせず、ぜひ活かしたいものです。
 そうすれば、かつてこの国が太平洋戦争敗戦後の焼野原から甦ったように、きっとまた、新たな形で生まれ変われるでしょう。

書いた人 浜野ゆり : 2012年11月08日 06:18