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(22)「適度」なスピリチュアル生活――占いについて3
2012年11月29日
なぜこのようになるかというと、予測対象の時期が遠い未来になればなるほど、様々な因子の微妙なずれや干渉、現時点ではなかった因子の発生などが加わり、クリアな予告は難しくなるからです。
例えば今年の秋に発表された、この冬の3か月予報は当初、「暖冬」でした。
しかしその根拠となった、エルニーニョ現象(太平洋赤道域の海水温が持続的に高くなること)が急速に終息してしまったことなどから、先週後半には一転して、寒い冬になるとの予報に変更されました。
こうした状況に対して、「あてが外れた、気象庁の嘘つき!」と感情的に怒る人はいるとしても(特に天候をもとに仕事上の投資をしている、各種企業など)、
「技術の限界だから仕方ない」というのが実際の皆の考えることであり、「気象庁の天気予測なんてヤマカンで、インチキだ」などとは誰も思わないでしょう。
しかし「明日は晴れです」と言った人が、それを下駄(現代では靴でしょうが)を蹴り上げ「ちゃんと上を向いて着地したから」という、子供時代にあった遊び(※)に基づく決定で予報したとしたらどうでしょうか?
それで翌日雨になったからといって、世の天気予報全般を「当たらない。あれはインチキだ」と決め付けるのがいかに滑稽かは、いうまでもないでしょう。
ところが、占いについては、このようなばかげたことが横行しているのです。
テレビや雑誌の占いコーナーにある「○○座のあなたの運命は・・・。開運法は・・・」などの記事が当たらないのはあまりにも当然だし、こうした記事に基づき一喜一憂するのが無意味なことは自明なのです。
では本当の占いと、「占いもどき」をどのように見分けたら良いでしょうか?
※「あした、天気にな~れ」といいながら、はいていた下駄やスニーカーを足で遠くに飛ばし、着地した時に靴底が地面に着地した状態なら「晴れ」、さかさまなら「雨」、それ以外の状態(横向きなど)なら「曇り」になる、という遊びです。
平成生まれの読者にはもしや、通じないかもと思い、念のため解説しました(笑)。
書いた人 浜野ゆり : 2012年11月29日 06:25