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了解不能

2005年07月02日

 統合失調症(精神分裂病)は、精神科で診る代表的な精神疾患である。統合失調症について教科書の記述を拾うと、以下のようなものがみられる。
 「思考障害、感情の障害、自閉、・・・幻覚、妄想。妄想はその生じ方が心理的に了解不能な一次妄想であり、心理的な状況や環境、性格などから妄想形成の機序がそれなりに了解できるうつ病などの二次妄想とは区別される。・・・幻覚は頻度からいって幻聴、特に幻声が最も多い。」
 「そういうけどね、『了解不能』というのはすぐにはわからない、ということで、患者の話をようく聞いていけば、統合失調症の妄想だって了解可能なんだよ。」
 以前、ある先輩からそう聞いたが、臨床経験を積むにつれて、本当にそうだなと思う。
 統合失調症において幻覚と妄想はしばしば分かちがたく結びついており、幻聴、特に幻声が妄想の真実性の「証拠」と患者にとらえられているようである。
 幻聴はもちろん、客観的な音声ではない。しかし患者の脳の活動をスキャンし画像処理した最近の研究では、幻聴が「聞こえて」いる間、脳の聴覚領域の活動が見られた。すなわち鼓膜こそ通って来てないが、脳は実際の「音」として幻聴を認識しているのである。患者にとって、幻聴が現実の音声と変わらずリアルに「聞こえる」わけである。
 幻聴はしばしば、患者の身近な人の声として聞こえる。以前受け持った20代の男性患者Aさんは入院時、職場の上司と同僚2人ほど、そして赤ん坊の声にけなされ、迫害されると言って怯え、興奮していた。その後治療が進んでくると、彼は幻声の内容が、自分を貶める内容から次第に中立的、ときには彼を弁護する内容に変わってきた、と話すようになった。声の主については、職場で特に親しく、よくしてくれた上司や同僚であるとも話した。また、退院間近になったある日、彼は定期入れから女性が赤ん坊を抱いている写真を取り出し、そっと見せてくれた。それは入院の数ヶ月前、彼の姉が出産し、実家に赤ん坊を連れてきた時のものであった。彼はその時、いたく感動したようで、写真を指して「かわいいでしょ?」と嬉しそうに笑った。そうか、赤ん坊の出所はここだったのねと納得した。このように、幻声の「登場人物」は患者にとって心理的に大きな影響を与えた人物が多い。しかし「正常」な時には患者にとって良い人物がなぜ病気になると悪者になるのかというのは難しいが、自分にとってそれほど大切な人から嫌われたらどうしよう・・・という不安が病的に肥大した結果とも推測できる。ごく大雑把にいえば、患者の妄想世界は健常人の感覚では夢の体験に最も近いかも知れない。覚醒時は意識に上らない現実離れした不安が、夢では突然拡大して現れる。覚めてみれば非現実的な、ありえない事象が、夢の中ではこれ以上ないほどリアルに感じられる。二昔前の詩的な研究者が、統合失調症患者を「覚醒した状態で夢を見る人たち」と表現した所以である。統合失調症の発病そのものは生物学的なものだが、その過程でどのような心理的意味付けをしていくかは、患者の精神内界の状態によって1人1人異なる。
 もう1人の20代の男性患者Bさんは、自分の体の中に魔法使いが住んでいると信じていた。どうやら数年前から魔法使いは「居た」らしいのだが、特別問題行動にはならなかったので放置されていた。しかし入院の数週間前から、魔法使いの「テレパシー」や「念力」が自分も使えるようになったと思い込み、はしゃぎすぎて仕事に支障をきたすようになったため、入院治療に至ったのである。
 薬によってその妄想、魔法使いからの幻声は速やかに消えたが、Bさんの表情も冴えなくなった。彼は「超能力」のみならず、自分を高揚した気分にさせてくれる話し相手を失い、急に現実と向き合わなくてはならなくなり、すっかり落ち込んでしまった。妄想によって支えられていた彼の自己評価が急落したためか、彼はひどいうつ状態になり、その状態を治すのが非常に困難であった。結局彼の場合は、薬は最小限に押さえて少しだけ妄想を復活させ、その妄想と共存しながら実家の家業を手伝う、ということで退院となった。Bさんにとって、妄想や幻声は心のバランスを保つための無意識の手段だったのだ。それがわかった以上、「正常でないから」といって、どうして抹殺できようか。
 「自分が何をしたいかわからなくなったら、自分の内なる声、心の声に耳を傾けましょう」と、一般向けの癒し系自己カウンセリング本にはよく書いてある。もちろんこれは健常者向けの記述だが、われわれ精神科医が統合失調症の一見「了解不能」な患者を診る時、彼らの、文字通り心の声――幻声――の訴えに耳を傾けることによって、彼らの痛みや恐れ、おずおずとした期待の本質に触れ、治療に向けてともに歩んでいく道しるべをつかむことができるのである。

書いた人 浜野ゆり : 2005年07月02日 13:39

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