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精神科を選んだわけ

2005年07月03日

 精神科医であると自己紹介すると、よく相手に「どうして精神科を選んだんですか?」と訊かれる。これが内科だったら、そう尋ねる人はあまりいないと思われるが。それだけ、「精神科という『ちょっと変わった科』を選ぶ人って、どんな人なんだろう」という感じを、人は持つのだろう。
 私自身に関していえば、もともと心理学関係には興味があり、学生時代、まだ精神科を学ぶ前から大学図書館で精神科の教科書を借りてきたり、一般向けの精神分析本を読んだりはしていた。しかし卒業が近づき、いざ入局先を決めなくてはならない時点では、内科にするか精神科か、最後まで迷った。
 本当は一般内科、つまり風邪から心臓病、肺、肝臓、腎臓、神経、胃腸と、全てを広く浅く診られる内科を学びたかった。いわゆるプライマリ・ケア医(家庭医、初期診察を何でも一通りこなせる、医師のジェネラリスト)を目指したかったのだ。だが私の居た大学では内科は幾つもの専門内科に分割され、それを統合するところはなかった。卒後数年してから、一般内科が設立されたから、もしこの時期に卒業していれば、迷わずそちらに進んだだろう。同期のクラスメイトたちで、やはり一般内科指向の人は、内科の中でも最もメジャーな、胃腸科を選ぶことが多かったようだ。
 私が結局内科でなく精神科を選んだ理由の1つは、内科は所帯が巨大で、そのぶんいろいろと内部派閥のややこしい問題がありそうだったこと、また教授や医局の雰囲気から、精神科の方が居心地良さそうだったからだ。それに当然のことだが、精神科患者でも身体の病気にかかる。その時、軽度のものなら自分で診て、判断が難しい状態の時のみ、専門科に相談すれば良い、プライマリ・ケア医の志を最も活かせるのはそういう場ではないか、と思い至った。それにやはり、精神・心理面で深く患者を理解したいという気持ちも強かったから、この方向で決めたのである。
 入局後は、幸いにして非常に優秀な教授・講師たちや、精神科医としてだけでなく人間としても尊敬できる良き先輩たちとも出会え、その指導のもとで患者さんたちを診ていく中で、仕事面だけでなく自分のアイデンティティーや人生観についても学ぶことが多かった。
 ところで精神科の中にも、実はいろいろな専門分野がある。どの医師も臨床では一般的な診察は行ないつつも、自身の研究として、各々が専門分野の仕事もしている。例えば精神病理、精神薬理、電気生理などである。私は学生時代から精神分析に最も興味があったが医局では精神分析をやる班はなく(後で知ったのだが、精神分析を専門にしていた何人かのメンバーは、グループを作らず、個別活動をしていたらしい。精神分析が日本の精神科の中でも最もマイナーな流派の1つであることと、そういう流れに入る人というのはやはりかなり個性が強いからか)、そのため他の班で自分が属するのに良いのはどこか探すべく、いろんな班の勉強会に参加してみた。
 しかしそれを数ヶ月続けるうちに、だんだん嫌になってきてしまった。当初精神科を志した時からあった「精神内界を知る時のワクワク、ドキドキ感」がすっかり影を潜め、「精神科ってこんなにつまんなかったっけ?」と感じ、早くもマンネリを感じ始めている自分に気づいたのである。
 これには愕然とした。「これはいかん!どんなにマイナーで、(日本では)精神科の中でさえ異端視されようと、精神分析こそが、私がやりたかったことだ。これを専門にしよう!」とその時決心したのであった。
 その後、年単位で行なわれる、慶応の小此木啓吾先生をトップとする国内最大の精神分析教育「精神分析セミナー」を申し込み、2年の系統講義と1年のグループスーパービジョンを修了した。現在はこのセミナーからは離れて、精神療法の個人スーパービジョンを受けている。
 ところで「心の時代」ということで、バブル崩壊以降、特にここ数年、精神科の需要が急速に高まっているようだ。厚生労働省の方針により、今春からは新卒医師の全てに2年間の初期研修が義務付けられたがその中に、必ず精神科研修も入れるようになっている。私の病院においても、精神科はむしろ内科や外科よりも病床利用率が高く、数年後に完成する新病院でもほぼ唯一、病棟やスタッフの規模拡大を行なうことになった科である。私が卒業する頃には予想もしなかった、時代の流れになっていることを感じる。
(2004年)

書いた人 浜野ゆり : 2005年07月03日 09:54

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