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夢分析・夢判断

2005年07月09日

夢分析…Part1
夢を見る意味と、現代における夢の位置
夢は古くから「摩訶不思議なもの、コントロール不能なもの」「神や悪魔のしわざ」「幸運や災禍の予兆」などなど、多くの意味づけがなされてきました。
また精神分析の祖フロイトの「夢は無意識への王道である」に代表されるように、近代の心理療法でも大いに注目され、研究されてきました。しかし何事も「スピーディに、合理的に」をモットーとする現代社会においてはとかく「夢など、時たま偶然現れる無意味なもの」と片付けられ、軽視されることが多いのが実態です。
しかし夢で見たことがきっかけで偉大な発明や、問題解決の糸口が得られたことも、歴史上多くあります。


夢占いとどう違う?
いわゆる「夢シンボル辞典」の類は最大公約数的な象意の寄せ集めに過ぎず、個人にとってはあまり役立ちません。あるものがある人にどのような意味を持つかは、その人の生活史を踏まえて考えなくては意味を成さないからです。
夢分析においては、この「個人ごとの夢シンボル」を解析していきます。


夢を分析することが、どのように役立つのか?
クライアントの懸案事項への答えが、夢の中に示されることがあります。あるいは現在の不安の原因が何か、とか。
また自分の夢に関心を持ち、理解しようとすること自体が、本人の直感力を高めたり、自己への理解を深めるきっかけにもなり得ます。
そのようにして自分を知り、今後の人生を送る上で必要な落ち着きを得ることができるでしょう。


夢分析…Part2
夢の種類、機能
夢にはどんな種類があり、何のために見るのかを考えるとき、以下のいくつかに分類することができます。


(1)願望充足
 夢分析の先駆者、フロイトにより提唱された概念。睡眠中は自我活動(理性、常識など)の力が弱まるため、覚醒時には抑圧していた願望が表面化し、夢の中で達成しようとする、というものです。
 ただしあまりに露骨に表現されると超自我からの叱責が飛んできて安眠できなくなるので、婉曲な形で表現されることが多くなります。このように、願望充足しながらも睡眠を保護する機能も含まれます。
 また、願望にはポジティブなものだけでなく、「○○したらどうしよう」という、内心の不安もあります。この場合、その○○が実際起こった夢を見、かつ覚醒して「現実にはそんなことは起きていない!あーよかった!!」と安心させる、などという「応用編」もあります。→例1


(2)生活の残滓(ざんし)
 その日(または2-3日以内)に体験したことを夢の形で再体験すること。覚醒時の実際の体験では忙しくてゆっくり考えたり感じたりする間もないようなときに改めて夢として見直し、その体験の意味を考えることになります(反芻作用)。その際、体験の意味をまとめ直したり、覚醒時とは違う視点から見ることがあるため、表面上のスト-リーや場所は実体験と異なることもあります。


(3)身体の感覚に関連するもの
 実際の身体感覚が、夢の中に出てくるもの。
 冬山で凍えている夢を見たとき、実際は自分でいつの間にかふとんを剥いでいて体が冷えていたとか、尿意を覚えたときに夢の中でトイレを探している、など。


(4)予知夢、正夢
 近未来に起こることを予め夢に見ること。特に自分や、身近な人に関する予知夢の場合、覚醒時の意識では認識していない微妙な情報を蓄積・関連付けして、夢の中で「その結果、起こり得る事象」として表現されたと考えられます。例えば自分や家族の病気・事故など。


(5)Life(生活/人生)全体の統合
 こちらはユング的な考え方。(ユングは「補償」と呼んでいます。)日々の生活や、その中で意識的に認識していることはしばしば表層的だったり、近視眼的だったり、相互関連が持てず、個々がばらばらになったままであることが多いのですが、それを夢の中で相互に関連させ、本人の人生における各要素の意味や繋がりを認識させます。
 ちなみにユングの考えでは覚醒時の生活も夢の一部であり、現実と夢は究極的には同じものだといいます。


夢の性質・特徴
(1)夢は象徴を使って表現する。
(2)夢に現れる象徴(シンボル)は個別的である。
(3)夢は重層構造をしている。
(4)知性よりも感情面に、より素直に表現される。


 夢に登場する人物や物、場所は全て、夢を見た本人にとって独自の意味を持ちます。だから時間・空間や登場者の矛盾も、全体に流れる物語のテーマを特定すれば、皆きちんと繋がるのです。→例2
 夢の表面上のストーリーや荒唐無稽さに目を奪われると、真のメッセージを見逃してしまいます。またメッセージの内容も、ごく常識的なものから、より深く、そのぶんより隠蔽され、覚醒意識からすればタブーとされるものまであります。どの深さの層までを読めるかは、読み手の技量次第です。
 夢に現れるシンボルはその人の属する社会文化に影響され、また個々人の生活史と結びついているため、「夢シンボル辞典」の類は一般論以上の役には立ちません。
 また夢を分析・理解しようとするとき、頭で論理的に考えようとするだけでは、ごく表層的な理解に終わります。夢は本人の情緒によりダイレクトに訴えてくるので、たとえ知的には「こうだ」と思ったとしても、感情面でまだひっかかるところがあるのなら、一旦理屈は脇に置いて、その「気になる」部分を追求していくことが重要です。
 夢を見ている最中、および直後に感じた感情を最大に尊重すること、これが鍵です。


インパクトが強く、そのぶん隠蔽された表現を取りやすいテーマ
死に関するもの:病気、怪我、襲われる、などを含む。
性に関するもの
ルールや決まりごとに関するもの:道徳や法律で決められた枠を越えようとするもの。


夢を思い出し、なじみ、理解するための方法
 人は誰でも、一晩に3-5つの夢を見ています。「見ていない」という人も、忘れているだけです。もしも夢を思い出し、それを理解したいという気持ちが強いならば、以下の方法が役立つでしょう。


(1)夢を記録する
 最終的には、夢は記録せずに済むのが理想的で――なぜなら文章にした時点で、もとの夢とは違うものとなるからです。とはいえ最初のうちは記録しないことにはすぐに忘れてしまいますから、夢日記をつけましょう。毎日つければ、1-2ヵ月後には一晩で見る夢を全て思い出せるようになることも珍しくありません。


記録のつけ方
・専用のノートを1冊用意し、枕元にペンと共にスタンバイしておきます。
・目が覚めたらまず、姿勢を変えず、今見たばかりの夢をできるだけ詳しく思い出し、意識的記憶に「刷り直す」。起き上がったり、寝返りを打っただけで夢の印象はあっという間に薄れるので「覚醒した時の姿勢のままで」というのがポイント。
・ノートに記録します。順番に書いていると忘れそうな場合は、まずキーワードを列挙してから、細かいストーリー等に取りかかっても良いでしょう。また、この時に断片的でもいいからイラストを添えると、後で格段に思い出しやすくなります。
・夢を一通り書いたら、夢から連想することを順不同で良いのでメモっていきます。特にこの2-3日以内に体験した実生活と関わりがあるかチェックするとなお良いでしょう。


(2)夢について書かれた本を読む
 様々な知識や技法の勉強になるというだけでなく、覚醒時に夢について考える時間を持つこと自体が、睡眠中の夢体験やそれへの理解を深めるからです。


参考図書
 『プロカウンセラーの夢分析』東山紘久、創元社
 『夢の引き金解読ワークブック』ロバート・ラングス、誠信書房
 『夢学』(パトリシア・ガーフィールド、白揚社)
 『コンシャス・ドリーミング』(ロバート・モス、VOICE)


夢分析の適応
 あるクライアントに夢分析を行なって良いかを見る指標の1つとして、夢の健康度が挙げられます。以下は『心理療法を学ぶ』(有斐閣選書、霜山徳じ、他。お勧め本棚を参照)より引用。
(1)夢全体のストーリーがはっきりしてわかりやすいかどうか。
(2)夢の登場人物がはっきりしていて、最終的な安全が確保されて いるか。
(3)夢の終結が、あまりにも破壊的・破滅的でないかどうか。
(4)夢が語られる時、現実と夢との区別がはっきりとしているかどうか。
 特に夢の結末が破壊的で、夢と現実との区別があいまいな状態のクライアントに夢分析を行なうと、精神病的破綻を起こす(つまり、発病する)恐れがあるので、厳に避けるべきです。


夢分析に関連する技法
(1)絵画療法(ライフシンボル)
 夢は、五感の中でも特に視覚に訴える部分が大きいものですが、絵画療法もそうです。絵画も言葉、ひいては左脳-思考-理性の関門を介さず直接表現されるため、普段の覚醒時意識では自覚されにくい無意識レベルの葛藤や不安、問題のありかをはっきりと示します。


(2)ヒプノセラピー
 ヒプノセラピー(催眠療法)もまた、イメージの中での物語の体験様式です。夢が単独での体験であるのに対し、ヒプノセラピーではセラピストが一緒についているため、いわばガイドといっしょに夢を見る練習をするようなものともいえます。実際、怖い夢を繰り返し見ている人の場合、その夢をセラピストと共にヒプノのイメージ世界の中で再体験し、実際の夢を見る際の「予習、練習」をしておくことも可能です。
*このようなセッションの1例が『第二の視力』(ジュディス・オルロフ、VOICE)に記載されています。


(3)瞑想
 瞑想は自己催眠と非常に似た意識状態であり、やはり潜在意識の力が優位になっています。
 「軽度~深いリラックス状態にありながら、かつ1つのことに注意集中できる」という意識状態です。
 現代社会における瞑想のメリット、実用性と応用範囲の広さについては「ビジネスパーソンのための瞑想法入門」に詳述してありますので、そちらをご参照ください。


夢分析…Part3
夢分析の事例編
 ☆別冊宝島「夢分析」にも浜野監修で、多数の夢事例が掲載されていますので、ご参照ください。


例1・間に合わない
 ビジネスマンのAは、久しぶりに単独での海外出張を命ぜられた。おりしも普段の仕事も多忙で、出張当日朝も1つ、別件の仕事を片付けてから行かなくてはならない。「時間的にぎりぎりだなあ・・・朝の仕事が長引いたり、空港に向かう途中で渋滞しなければ良いが・・・」と思いながら前夜床に就いた。
 朝の仕事相手は、打ち合わせ場所に遅れて来た上、要領が悪くてなかなか話がまとまらない。何とか仕上げて空港に向かったものの、タクシーの運転手が道を間違え、空港に到着時には、Aの乗る飛行機の出発前の最終案内が放送中であった。慌ててチェックインしたが、あと少しというところで間に合わず、空港ロビーの広いガラス窓越しに飛行機が轟音と共に飛び立っていくのをAは見た。「ああどうしよう・・・」と思った。
 ここでAは目覚めた。時刻はまだ夜明け前。「あーよかった、夢だった!現実には何も問題は起きていなかった!」とAはホッとし、目覚ましがセットされているのを再確認してから再び横になった。緊張がほぐれたので朝まで安眠できた。


例2・不合格
 外科医のBは優秀な若手医師であり、その才能と運により、仕事を順調にこなしていた。ところが数週間前から、大学受験時の夢をしばしば見るようになった。
 合格発表の日、Bはそこそこ自信があったのだが、掲示板を見ると自分の受験番号がない。「そんなばかな!」と思い何度も確認するが、やはり欠番である。
 周りの同級生たちは合格の歓声を上げている。中には自分より普段の成績が悪かった者まで、合格している。「なぜ受からなかったんだろう?!・・・」呆然と立っている。
 ここで目覚め、脂汗をかいていることに気づく。
 実は今年度、Bは助教授選に出ていた。対立候補よりもBは教授の覚えがよく、概ね自分が当選するであろうとは思っていたものの、何せ人事は水物、何が起こるかわからない。その不安が「予想外に、排斥され、負ける」という文脈で、大学受験という場面設定となって表現されたのである。ちなみに実際の受験では、Bは問題なく合格している。


例3・帰り道
 会社員のCは、この頃「遠出をすると、帰れなくなる」という夢を繰り返し見る。例えば電車を乗り継いでどこかに到着し、用事を済ませてさあ帰ろうとすると、どうしても帰りの路線を思い出せなかったり、乗り継ぎを間違えたり、目的の電車が次は数時間後までない、などと知って焦る。
 乗り物は郊外バスだったり、あるいはエレベーターのこともある。いくらボタンを押しても反応しなかったり、10階まで行こうとするのに乗ったエレベーターは5階止まりで、上まで通じるエレベーターを探しているうちに道に迷ったり、といった様々なバリエーションがある。
 これらは表面的な乗り物は変わっても、同じパターンのものだな、と気づいたCは、次回からそのような夢を見た時には、その直前の現実生活で何か関連することがなかったか、日記をつけて検討してみることにした。
 すると、「帰り道がわからなくなる」という夢を見る時には大抵、今までと違うことをしようとする時――例えば新たなプロジェクトの企画あるいは実行者となる、昇任して職場での役割が変わる時、あるいは転職を考えた時、などであることがわかった。つまり「今までと違う世界、領域に、調子に乗って出かけて行ったら、元の安全な世界に戻れなくなるのではないか」という潜在的不安が、夢の中で手を変え品を変えて出てきたのであった。例えば平社員の時には皆と平等に和気あいあいとできたが、役職がつくと孤立し、部下がついてきてくれないのではないか、自分がその役職の器でないと評価されるのではないか・・・という不安などである。
 そこでCは、別の段階(例えば役職)に入ろうとするときには、現実面で予想される問題と対処法を全て書き出し、不安な点は書物で調べたり先輩に相談して、心配事項は積極的に解消するようにした。
 これらの結果、Cはこのような夢を見ることはほとんどなくなった。


例4・毛皮
 病院職員のDはある日、別の医院の歯科を受診した(自分の病院とは違う専門医がその医院にいたため)。ある日、担当医の説明不足による疑問を受付の女性に問うたところ、その女性と歯科衛生士が一方的に、Dのミスであるかのような対応をしたので、Dは非常に口惜しかったが「ここでいくら私が抗議しようと、『よくいる、わがままな患者』と思われるだけだろうし、ここはこの職員たちのテリトリーなのでこちらは全く無力だ」と思い、それ以上は言い返さず帰宅した。しかし自分でも予想以上に、長時間嫌な気分がまとわりついていた。
 その晩、Dは、どこかの家の前にいた。ちょっとためらいつつも入り口から入ると、部屋の一面、壁も床も天井も、茶色く毛足の長い毛皮で覆われていた。中では何人かの女性店員がいて、何かの商品をDに売ろうとしている。Dは何となく胡散臭く思い、走ってその家の外に出た。
 覚醒してからDは、あの毛皮は狐だ、と感じた。そして狐はずる賢さ、化かす、の象徴であることから、前日自分が歯科医院で複数の女性たちに体よくあしらわれた、ずるいと思ったことを表現しているのだな、と思った。さらに夢のイメージから「虎穴に入らずんば虎児を得ず」のことわざを連想し、歯科医院の件では「虎の巣」に入っていたような「多勢に無勢、無力感」を感じていたことを、象徴的に表現していたのだな、と気づいたのであった。


例5・転落バス
 23歳の男性Eは以前から、同じ夢を見ては恐怖で目が覚めるというのを繰り返していたが、この1年ほどはその頻度が高まり、不安に感じていた。
 長距離バスが満員の人員を乗せ、山道を走っている。やがて渓谷にさしかかり、長い鉄橋を渡る。しかしその途中で橋が突然崩れ、同乗していたEはバスもろとも深い谷底に転落するのである。
 あまりにもこの夢が繰り返し現れ、床に就くのが怖いほどになったEはある日、夢分析のセラピストに相談してみた。その結果、以下のことがわかった。
 「バス」は、「同じ目的地に向かう仲間→価値観を同じくする人々」の象徴であり、「渓谷にかかる橋」はこちら側の山(1つの集団)とあちら側の山を結ぶパイプである。これが途中で崩れ落ちてしまうのは、Eが「違う文化圏の人々に自分が理解されず、受け入れられないのではないか」と恐れていることを表していた。相談を受けた時点ではセラピストは知らなかったのだが、Eは帰国子女であり、大学までの学生時代も日本の学校生活に馴染むのに苦労する場面があった。それが去年から社会人となり、日本企業という集団の価値基準に自分を合わせることに非常に気を遣っていた。そして上司や同僚、あるいは顧客に「自分は受け入れられているだろうか、評価されているだろうか」と、自分で意識している以上に、気をもんでいたのであった。
 セラピストとの話し合いの中で上記の理解を得、更に夢の結末を変える技法を学んだEは、この夢を次第に見なくなっていった。


例6・涙
 30代前半のFは、幼い子供を育てながら、パート勤務をしている女性である。夫は遠方に単身赴任中だ。
 ある朝、仕事から子供を保育園に迎えに行って帰宅し、夕飯の買い物をしに近所のスーパーに短時間買い物に行き、帰路を急いでいると、狭い道を飛び出してきたバイクにはねられてしまった。幸いかすり傷であり、F自身も周囲への注意が不十分というのもあったこと、幼児を家に1人で置いていることが心配だったため、彼女はすぐにバイクの人とは別れて帰宅した。
 結果的には無傷だったものの、実は結構危ない事故であった。しかし幼子にそんな話はできないし、夫にそのようなことがあったと電話するのも、却って心配をかけるだけだと思い、Fはその晩、誰にもその話をしなかった。また、帰宅後の子供の世話、家事、翌朝の仕事の作業準備などに追われ、あまり深く考えないうちにその日は床に就いた。
 翌日、職場仲間に話をしようと思って出勤したが、ちょうどその日はFと仲の良い同僚は交代休暇を取っていた。そのような状態が2-3日続き、Fは話す機会がないまま、数日が過ぎた。Fは自分の体験を分かち合う相手がいなくて少し物足りない気がし、そして時々事故を思い出しては一瞬ぞっとしたものの、「もう済んだことだから」と自分に言い聞かせ、なるだけ考えないようにしていた。
 そんなある晩、Fは夢を見た。夢の中で彼女は、大きくて優しい、ゴールデン・レトリバー犬を抱きしめていた。どうやら、可愛がっていたその犬に久しぶりに会えて、うれし泣きをしているのであった。明るいベージュ色の、かすかに波打つ柔らかな長い毛に触れる感触や、温かな犬の体温を感じながら、幸せを感じていた。
 翌朝Fは、涙を流しながら、ホッとした安心感の中で目覚めた。そして「これは、無意識的に自分が、感情を発散しようとして見た夢だったんだな」と気づいた。その夢では彼女が犬を抱きしめて感激の涙を流す、というシーンが3回も繰り返され、しかしストーリー性はほとんどなく、犬の性情を説明する場面もなかった(Fに犬を飼った経験はない)。ただハグ(抱擁)する対象として、出て来たのだ。
 意識の上では「大したことはない」と思ってはいても、やはりショックな体験を言語化し、誰かに聞いてもらう、ということをできずにきてしまったため、Fの無意識部分が、自らを癒す方策として、夢という場面設定の中で感情を発露しカタルシスを得られるよう、導いたのであった。


例7・吐く
 30代はじめの男性Gは上司に指示され、ある会議で出す企画書を提出した。
 それはユニークで独自性のあるものであり、上司の評価も上々だったので、Gは当日を楽しみにしていた。
 ところが会議の席上で配られた資料は内容が微妙に異なっていた。上司は「お前の表現だとなじみにくいところがあるから、もっとわかりやすいように手直しをしておいた」という。それは上司の親切心だというのはわかったが、そのせいでGのオリジナルな発想が見えにくい表現になっており、Gは内心大いに不満だった。


 その夜、Gは1つの夢を見た。そこはコンサートホールか大規模体育館か、ともかく若者の多く集まる公共施設だった。Gはトイレに行きたいと思ったが、どこのトイレも新入社員と思しき若者が吐きながらトイレの側に座り込んだり寝ており、とても使える状態ではなかった。Gは焦りながら、トイレを探し回っていた。


 翌朝目覚めてから、Gは考えてみた。これまでも「言いたいことを我慢したときや自己表現を抑制した日」にはよく、「トイレが見つからない、見つかっても汚れていたりドアがないなど、使えない」という夢をよく見ていたのは、これまでもよくあった。しかし今回は「吐く」という新たな表現が入っている。


 そこでGは「夢は象徴的に表現する」という原則を思い出した。つまりトイレとは「自分の全てを出し切ってスッキリする所」であるため、出すのを我慢していることが「トイレに行きたいのに見つからない、使えない」という表現で現れたのであろう。
 これに対して「吐く」とは「こんなものは受け入れられない」という身体の反応である。今回、Gは上司が勝手に修正した企画書を「受け入れたくない」と、心の中で拒絶したが、同時に会社員としての立場からその気持ちを押し殺し、従順にふるまった。そのことが、「吐く」ことと関連した「トイレが使えない」という形で表現されたのだとわかった。


 「そうですね」と夢分析のセラピストはうなずいた。「あと、『若者』ということで何か連想はありますか?」
 そういえば夢を見た2日前の夜、繁華街を歩いていると、新歓コンパが終わったところらしく大勢の若者が居酒屋の前に出てきていたが、うちの1人が派手に吐いており「掃除、どうするんだろう~」と横目で見ながら急いで通り過ぎたのであった。それが記憶のパーツとなって結びつき(→「夢の種類、機能」(2)生活の残滓)、今回の夢として出来上がった、ということが理解できたのであった。


例8・虎の子
40代の女性起業家Hはある夜、道端で茶トラの子猫を拾った夢を見た。
家に連れて帰り、これから飼おうとしているところだったが、途中で会った友人たちが飼っている猫たちを見ているうちに、自分の抱いているのが彼女らの猫とどこか違うような気がしてきた。
そこでもう1度よく見ると、明るい赤茶色の地に独特の黒い縞模様であり、これは「茶トラ猫」ではなく、正真正銘の「虎」の子であることに気づいた。


Hは慌てた。「わっ、虎なんて、大きくなったら危なくて、とても扱いきれないのでは?!
そうか、それで前の飼い主も、猛獣の子をペットにしようとしたものの怖くなって、こっそり捨てたのね!」
と唇をかんだ(その頃よくテレビニュースで、外国産である「カミツキガメ」の子をペットとして飼っていた人が、成長してその凶暴性に不安になり、勝手に捨てており危険だ、という情報を伝えていた)。
Hの腕の中の虎の子は元気で、Hの腕に前足を突っ張ったりしてかすかにその爪が食い込み、既にちょっと痛いのだった。


目が醒めてからHは、夢分析のセラピストと共にこの夢について検証した。
夢を見ることになる日の夕方、Hは久しぶりに友人たち数人と食事を共にし、大いに楽しんだが、その仲間たちは起業家グループ「虎の会」の仲間たちであり、最近の自分たち各々の仕事の進み具合について話したのであった。
Hはこれまでの仕事の他に、まだ軌道には乗っていないものの、ある新規事業にも乗り出しており、それが結構発展していくのではないかという展望を持っていた。


今回の夢を見て、「自分が思っている以上に、この事業が大きくそしてハイペースで発展していくのではないか」「それを自分はちゃんとコントロールし、上手く育てていけるだろうか」という不安を感じていたんだなあ、と気づいた。
そしてその不安や恐れに立ち向かっていけるような様々な対処(知識を更に積極的に得ること、自分をサポートしてくれるシステム作りやスタッフを周囲に集めることなど)をより優先して行なって行こう、と思ったのだった。


書いた人 浜野ゆり : 2005年07月09日 15:31