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過去の”変え方”

2010年01月28日

今回も勝間氏の連載記事から。
本年1月9日付「過去はいくらでもよいものに変えられる」。

「これは、過去に起きた『出来事』そのものを変えることはできませんが、それがなんであれ、将来に生かせるように解釈することで、いくらでも『よいもの』に変えられるという意味です」と冒頭で述べ、勝間氏自身の2つの「失敗例」をあげて、そこからいかにその後の生活を改善するためのきっかけになったかを説明しています。


例えば上述の例の一つは「ヒールの高い靴で急いで歩いていたら足首をグキッとひねってしまい、軽いねんざをしたが、それによって『過密スケジュールで過労のまま仕事を入れ続けていたので注意力散漫になっている』というメッセージだと解釈した。そこで十分な休養を取れるようなスケジュールに変更した」というものです。


こうした見方は、より深刻な「出来事」、例えば「アルコール依存症の親に虐待されて育った」という場合でも、使い方は同じです。
こうした親に育てられた子供はしばしば、「自分が悪いから暴力を振るわれるのだ。本心を押さえ、相手に合わせていれば、それでも愛してもらえる」という考え方を持つようになったり、癇癪や暴力で人をコントロールするという対人関係パターンの見本しかほとんどない環境で育ったために「父のような人とは絶対に結婚しない、優しい人を見つけて結婚するんだ」と決心するにも関わらず、結局は「しらふの時は優しいが、酔うと暴力」という、父親とそっくりなパターンの人と一緒になってしまうのです。


たとえ本当に優しい、父親とは全く別タイプの人と知り合ったとしても「愛されているという実感がわかない、自分も恋愛感情がわかない」といった理由で遠ざけてしまいます。
「本当の愛情関係・愛情表現とはどんなものか」という重要なテーマを学ぶには、非常に難しい環境だったからです。


それでも、本人がこれではいけないと気づき、本格的な心理療法を受けて、より健康的な対人関係の持ち方を学び直すにつれ、自分や相手への見方が変わるため、やがて父親のようなタイプには惹かれなくなり、より健全な愛情関係を結べる人の良さがわかり、愛せるようになります。


つまり、それだけ幼少時環境が悪かったのは事実ですが、これを「自分はなんて不運な生まれだったんだろう。自分ばかり、何でこんな余計な苦労をさせられたんだ」と、過去への恨みや怒りの段階で留まっていると、不公平感と絶望感ばかりが強まり、今日からいくらがんばったところで無駄だ、という気持ちになってしまいます。


このような気持ちでいては自己評価は低いままで、そうすると知り合う人、引かれてくる人はその自己評価に見合った人たちばかりとなり「ほら、やはり私なんかと付き合おうとする人なんて、このレベル。私は不運…」と、マイナススパイラルが維持されてしまうのです。


虐待する親のもとに生まれたというのは、確かに非常に大きな不利益です。
しかし、心理療法を受け落ち着いてくるにつれ、「私が悪いから殴られたわけではなく、たまたま身近にいた私をストレス発散として殴っていた、親の身勝手によるものだった。私は悪くない。愛されるに値する人間だ」と実感をもって感じられるようになります。


そして更に「確かにとても不利な家庭環境に生まれ育った。辛かった。でもおかげで今は、一見地味で目立たない夫の、安定した愛情の良さや、穏やかな信頼感で結ばれた家庭がいかに貴重で幸福なものかがわかる」「同じような環境で育った人たちからの相談に、実感をもってサポートしてあげられる」といった考え方をすることで、出来事への見方が変わり、その結果、悪影響から自分を解放できるのです。


このあたりについてはまた、勝間氏の記事のまとめを持って結びたいと思います。
「過去の出来事は常に自分に新しい学びをもたらしてくれると考えれば、私たちにとってその出来事がなんであれ、『よいもの』になります。
そして、過去の積み重ねの先に未来がありますから、過去に対する考え方、気持ちを変えることで、未来もよいものに変わっていくのです」

書いた人 浜野ゆり : 2010年01月28日 10:39