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切り替え時の兆候

2007年11月03日

誰の人生にも何度か、転機があるものです。
その時には自覚がなくても、後になって「あれが大きな切り替え時だったのだなあ」とわかったりします。
またそこまではっきりしなくても「何だかこれまでと様子が違うぞ」と、何がしかの変化が訪れつつあるのを感じることがあります。


この秋の私も、そんな気配がします。
まあこの2-3年、私や私の家族に度々、人生上の目立った変化が続いてきたのですが、10月に入り、また違った意味で家族に関する出来事が持ち上がり、急遽一時帰省したりして、ちょっと気ぜわしかったです。


その際、1つ印象的だったのは、帰省の直前に眼鏡を失くしたこと。
1999年に初めて作った物で、私の唯一の眼鏡でした。
どうやらその2日ほど前に買い物に出かけた際、ちょっと外して置き忘れたか落としたらしく、家の内外を探したのですが出てこず、新たに買うことになったのです。


眼鏡は九星気学でいうと「九紫火星=離(り)」の象意です。
また眼鏡というのは「自分のものの見方、あるいは他者から見られている自分のイメージ」の象徴とも考えられますから、「眼鏡をなくす」とは「そうした自他の古いイメージ、見方を変えるべき時期に来ている」とも受け取れます。
何がしか、考え方を変えることが、今後の人生を展開していくために必要なのかもしれません。


また先日の帰省にあたって念のために方位の吉凶を九星気学的にチェックしたところ、なんと当日の日盤・時盤とも九紫破れ。
これは例えば「事故、怪我、発熱。公文書の紛失。嫌な情報の露見」といった意味を持つので、「電車の事故で予定した新幹線に乗り遅れるとか?切符をなくしちゃうのか?」等と心配しました。
もちろんいつものごとく、こうした不利な状況用に干支のぬいぐるみも持参しましたが、前述のように破れが重なっていると、どこまで対抗できるか…。
しかし結果は、特に目立ったトラブルはありませんでした。
もっとも「嫌な情報を聞く」というのは(多少予想以上に)ありましたが、それでも(この方位の悪さに比べたら)かなりましな方。
やはり直前に「眼鏡を紛失した」ことで、九紫の悪さをそこでかなり厄落とししてくれたのではないか、と思ったのでした。


時々、家族や友人など、身近な人が物を失くしたり、物事が妨害を受けて思うように進められないということが起こります。
その時に本人がその事態をどのように受け止め対処するかで、その後の展開がかなり違ってくるのがよくわかります。


失くした物や最初の計画に執着しあくまでそれを通そうとすると、自分が苦しくなるし、物事も停滞して前進しなくなり、更には従来スムースに行っていたことも上手くいかなくなります。
逆に「切り替え時だというサインだ」と受け止めて新たな可能性に心を開くようにすると、思いがけない幸運のきっかけになったりします。


前述の私の例でいえば、たとえ占いの知識がない場合でも(斉藤一人氏が教えているように)例えば「車をすぐ運転しなくてはならない時に失くさなくて、ついてた。眼鏡を失くすといっても、かけている時に物が顔にぶつかって怪我するとかの形でなくて、ついてた。イメチェンするきっかけになったので、ついてた」等と考えることで、アンラッキーに見えるような出来事もラッキーのしるしのように感じられるし、そう感じることで自分の意識状態がポジティブになり、現実もより良い方向へ実際に回って行くのです。


うつ病の心理的治療の中に「認知療法」というものがあります。
これは「気分の良し悪しは外界の出来事で直接決まるのではなく、それを本人がどのように受け止めるか(価値観、信念)によって気分状態が変わるのである」という法則を基本にしています。
出来事そのものは自分ではコントロールしきれません。
しかし出来事に対する自分の「受け止め方」は変えることができ、それにより自分の気分状態、ひいては人生の幸福感の度合いも大きく変わってきます。


変化をただ恐れたり嫌うのではなく、それを自己変革のきっかけとして歓迎できるようになりたいものですね。

書いた人 浜野ゆり : 2007年11月03日 07:22