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治療が「身につく」ということ

2011年06月12日

精神分析的精神療法にしろ、認知行動療法・支持的精神療法、催眠療法、あるいは他のどんな心理療法にしろ、治療の目標は「患者さんが辛い悩みや症状を軽減させ、自己理解を深め、ストレスを上手く扱えるようにする」ことであり、当然ながら最終的には治療者(担当する心理カウンセラー、ヒプノセラピスト、医師等)から自立し、自分でその時その時に必要な判断を無理なくくだせ、より楽で自由度の高い生活を手に入れることです。


最初に治療を目的に来院されたとき、既に多くの患者さんは数年から数十年にわたる、困った症状や悩みを抱えており、自分なりの対処法をいろいろと試したものの上手くいかなかったわけです。


当然、治療が進んでいくためにも多くの場合、短くても半年程度、多くの場合は1-3年くらいはすぐに経過してしまうことが多い。
この間、患者さんは時間・労力・料金面で負担が大きくなりますが、自分自身と向き合い、成長していく中で、ご本人もそして治療者も、患者さんの成長を徐々に実感できることが増えてきます。


その一つの段階が、治療者がいないときにも「この状況を相談したら、先生ならどういうだろう」と患者さんが思い起こし、「こういうだろう」という内容に従って行動できるようになることです。
ここまでくるのに少なくとも1年はかかることが多いです。


ストレスがかかってきたときに、その患者さんに特有の反応のパターンがあり、それが不適切だとさらに自分や状況を悪化させてしまう(治療開始前は不適切なパターンが大半でした)のですが、毎週毎週治療者と面談し、相談し、「自分がいつも同じようなパターン(ここではAとします)で状況を悪化させていること」「改善するためにはもっと別の、より合理的で中立的な反応パターン(B)を取った方が良いこと」をくりかえし治療者との話し合いの中で話題にし、理解を深めることで、いずれは似たようなストレス時に今度は「そうだ、こういうときは先生はこういうだろう。いつもストレス時には頭が真っ白になって忘れてしまってたけど、今日こそはBパターンでやってみよう」と思いつけるようになり、Bパターンでの言動ができる日がきます。


すると今までにない、周囲からの好意的な反応をもらえたり、短時間で落ち込みや不安を脱したりができるようになってきます。


こうしたことを、「治療者の取り入れ」といいます。(※1)
ただ、まだこの段階は、困った状況になったとき「先生ならどういうか」と、一旦治療者のイメージを経て初めて判断に繋がるのであり、まだ途中段階です。


真に取入れができてくると、治療者のイメージすら必要なくなり、Bパターンの言動の基礎となっている価値観そのものが自分の価値観となり、もはや「自分はこう思う。だからこう行動する、発言する」という、自己所属感があります。
つまり、この段階で「新しい自分になった」といえるのです。(※2)


もちろん実際には、悩みの原因になっている偏った考え方・価値観は複数絡み合っていることが多く、その一つ一つをリニューアルしていかねばならないので、治療はこの後も続くことが多いですが、一歩一歩成長し、ついには治療を「卒業」し、より楽で安心度の高い、日々の生活を手に入れられるようになるのです。


(※1)これは子供が親の価値観や教えを、この世の法則として無邪気に取り入れることからもわかるように、人が周囲に適応していくための基本ですが、子供時代に偏った価値観、例えば「自分は劣っている人間で、愛を受けるに値しない」とか、「他人を信用するとひどい目に遭う」といったことが親などの言動を見る中で取り入れられてしまうと、成人してからも自尊心が低く、社会適応も悪くなってしまいます。
「自分だって捨てたものではない」「悪い人間もいるが、信頼に足る人もいる」といった、より中立的で現実的な価値観を、実感をもって受け入れられるようになることが重要ですが、こうした人たちにとって自分や他人を信用するのは「とんでもなく、怖いこと」なので、その不安を治療者と共に年単位かけて克服していくことが必要です。
その中で、「(親ではなく、治療者に代表される、より中立的な価値観を)取り入れ」ることが、段階として必要になります。


(※2)再び親子の例で説明すると、例えば小学生の子供が友人にいたずらをすると親が怒り、お仕置きをするので、子供は次回いたずらしようかなと思ったときに親の怒った顔が思い浮かび、思いとどまります。
しかしこの段階ではあくまでも親の罰が怖いからいたずらしないだけで、絶対にバレないとわかっているときなら、やはりいたずらします。
しかしそうしたことを何度かくりかえすうちに「友達にいたずらして困らせるとかわいそうだから、止めておこう」と感じるようになり、これは親イメージとは無関係に自分自身の感覚・判断で決めたという実感があるもので、したがって親が見ていてもいなくても無関係な、自分自身の行動指針となります。
これが、親に代表される価値観(この場合は「友人を困らせたらいけない」)を真に「取り入れ」ることができたことなのです。

書いた人 浜野ゆり : 2011年06月12日 07:22