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大脳以外にも知能が宿るということ

2011年08月07日

先日『ダンゴムシに心はあるのか』(森山 徹、PHPサイエンス・ワールド新書)を読み、「心」や「知能」というものが、従来考えられていたよりもかなり広い段階に見出し得ることを知り、とても興味深く感じました。


作者は、心の定義として、「環境からの絶え間ない多種の刺激に対して、自然には多様な反応・行動が出現しうるが、特定の行動を優先して発現するために、その他の行動を抑制する。その抑制する力が『心』である」
「『心』の存在は、顕在化している行動に隠れて、普段は『気配』としてしかわからないが、普段優先されている行動ができなくなる(あるいは必要がなくなる)と、表に現れる」と述べます。


例えば、人に贈り物をするとき、きちんとした身なりをして、口上を述べて、品物を差し出します。
この時、同時に空腹感を感じていたり、背中に痒みを感じていても、「お腹すいたなあ」という発言や、背中をかくといった行動は抑制されています。
しかしプレゼント行為が終了し、帰途一人でくつろげるようになったら、こうした発言も、それに基づいた行動も取るでしょう。


また、普段の対処法が通用しない未知の状況に遭遇したときに、自分でも予想しない言動をとってしまうことがあります。


作者はこれらを、「普段の状況では抑制されていた(しかし無くなっていたわけではない)別の行動が、未知の状況においてともかく個体が立ち往生してしまわないよう、とりあえず出現させたものであり、これこそが『心』の力である」といった内容の説明をしています。
自然環境では立ち往生は、飢え死にしたり、捕食者につかまることを意味するため、必ずしも適応的でないとしても、ともかくも何か行動をするよう、個体に促すからであり、これが進化への力にもなるからです。


そして実験対象を、庭などによくいるダンゴムシに選び、自然界では普通遭遇しえない状況(例えば特殊な迷路、水で妨害された歩行ルートなど)を提供し、普段ダンゴムシが起こさないような行動を誘発し、ダンゴムシにも「心」があると結論します。


さらには、いわゆる無生物、例えば石や金属にも「心」は見出しうると考えます。


著書では、それまで鋼板の打ち出し職人をしていた人が、ある日リニアモーターカーの車体制作の注文が入り、それまで接したことのない超ジュラルミン板で作らなければならなくなったとき、従来のやり方が通じないので、試行錯誤を繰り返し、ついにジュラルミンという新たな素材に適した打ち出し法を編み出した例を挙げています。
「彼は初めて知り合ったジュラルミンと、とことんつきあい、ついにはジュラルミンにとっての未知の状況を作り、それによって彼が望むジュラルミンの行動(この場合は、希望する形に曲がるということ)を発現させたのだ」と述べます。


それには条件が必要で、その対象ととことんつきあい、対象の普段の環境、普段の行動(この例の場合なら、打ち付ける力に対する曲がり具合)を深く把握して初めて、その対象にとっての「未知の状況」を見つけることができ、したがってその未知の状況を与えることで、普段抑制されていた「心の作用としての新たな行動」を引き出すことができるのです。


「虫や石にも心がありうる」というのは、にわかには信じがたいのが一般的ですが、この本を読んでいくと、なるほどそうかも、と思えます。
新書で軽い読み物として読めるのに、哲学的な気分になります。


実際著者は、ベルギーの国際学会(「予期しながら意思決定するシステムをどのように構築するか」というコンセプトで、理論生物学者ロバート・ローゼンが提唱した概念を継承したもの。講演者の専門分野は数学、計算機科学、部地理学、生物学、認知科学、社会学、哲学などさまざまな分野からなる)で、ダンゴムシの実験結果を発表した際に、(英語で上手く表現する自信がなかったので)心云々には特に触れず、事実だけを述べたのですが、学会参加していた、ベルギー大学の哲学者から「ダンゴムシの予想外の行動の発現に自律性を認めることは、この動物に意思や心を認めることなのではないか」と訊かれ、有意義な討議となり、ダンゴムシに心を想定することが決して特殊ではなく、自然な推論であることを理解してもらえたとのことです。


それで思い出すのは、占星術家の松村潔先生の記述です。
松村先生は、生物も無生物も含め、全ては振動するエネルギー体であり、例えば人間においては一番振動数が低く目に見えるのが肉体であって、その外側には何重ものより高い振動数の「エーテル体」でおおわれているといいます。
そして鉱物は鉱物の、虫には虫の固有の振動数をもつエーテル体が主にあるが、人においても一部のより低振動のエーテル体があり、私たちは普段からしらずしらずに他人や他種の存在たちとエネルギーレベルで交流しあっている。
ただ、普段はそれがごくわずかだけなのだが、特定の対象を深く知りたいと思い、毎日毎日それに接していると、やがてエーテル体レベルでの結びつきが強固になり、対象をありありと感じ取れたり、理解できるようになる、と。
だからジュラルミン板にしろダンゴムシにしろ、特定の対象に毎日深くかかわっていると、相手の「心がわかる」ようになるというのです。


森山氏、松村氏、どちらの見方もそれぞれに的を射ていると思うし、面白いので、私は好きです。
森山氏は「心の科学は、大脳を有しない対象から知能を引き出すことで、大脳を前提とする既存の知能観の枠を取り払い、『知能の遍在性』を唱えることができるのです。それは、既存の脳科学、知能科学へパラダイムシフトを迫ります」と述べておられますが、今後の研究成果が楽しみです。

書いた人 浜野ゆり : 2011年08月07日 21:05