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(12)「適度」なスピリチュアル生活――他者を許す、自分を許す

2012年10月24日

理不尽な相手に対して。


例えば相手が何かにつけて「こんな初歩もわかないのか。お前はバカか。よくそれで大学出たといえるな」など、過剰で人格を否定するような言い方しかしない上司の場合。
そのように過剰にけなす人というのは、実は自信がなくコンプレックスが強いことが多く、自分自身の不安を、部下を叩きのめすことで解消していることが多いものです。


だから相手が罵倒しだしたら「ああ、また始まった。こういう言い方しかできない、心の狭い、気の毒な人なのだな。きっと毎日、不満と不安でビクビク、イライラしながらすごしているんだろうなあ。これじゃあ、他の人間関係もあまり良くないだろう」と、突き放した視点で相手を眺めてみます。


自分に余裕ができてくると、更に相手の不安、不満、コンプレックスに思いをはせ、同情的にすらなっていくことが多いのですが、このような他人への見方にまだ慣れないうちは、「また始まったな」と突き放す視点で、まずは十分でしょう。


人は、自分自身しか変えられません。
その意味で、この上司が嫌な性格のまま今後も存在し続けることを、自分の中で許容することが「許す」ということになります。


次に、自分に対して。


過去(つい最近にしろ、幼少の頃のことにしろ)、自分の余裕のなさやイライラ、不安などから、つい周りの人に不親切にしてしまったり、攻撃したり、好意の出し惜しみをして、他人を苦しめてしまったこと、迷惑をかけてしまったことは、誰にでもあるでしょう。


そのような自分を振り返り、反省して、過去の未熟さや失敗の原因をを直視しそれを改善に結びつけることは生産的でありぜひ行なって欲しいことですが、「自分はなんてひどい人間なんだ」「欠陥品だ」などと何度も後悔し自己嫌悪に陥るだけでは、自分のためにも他人のためにもなりません。


人は聖人君子ではないので、時には体調不良や心配事を抱えているために不機嫌になったり、意地悪になってしまうことはあります。


それに、後から考えると間違った選択だったとしても、当時の自分としてはせいいっぱいのものであったことや、その選択をしたことで何ヶ月か何年かとても大変な思いをすることになったとしても、それによる学びを得るために必要だったと認めることで、その数年間は無駄だったのではなく、自分が成長するために必要な期間だったことが理解できるようになります。


するとその苦しい期間によって進歩した自分を大切に思えるようになる、つまり自己評価が上がります。
正当な自己評価、自己愛がないと人間は他者を正当に評価し愛することもできないので、これは非常に大切なステップなのです。


環境や他者、あるいは自分に対して怒りや憎しみ、嫌悪感などのネガティブな感情を抱き続けることがいかに自分を蝕むかについて、ある患者さんは「まるで放射能汚染のようですね」とコメントしたが、真に当を得た喩えです。


「人を呪わば穴2つ」という有名なことわざでもこうしたことが表現されています。
「穴」とは墓穴のことであり、つまりは「あいつ、死ね!」と思い続けていると、それは回り回って自分を呪い殺すことになる、という意味なのです。

書いた人 浜野ゆり : 2012年10月24日 07:21