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(13)「適度」なスピリチュアル生活――環境、出来事を許す

2012年10月25日

災害などに対して。


2011 年3 月 11日、東日本(東北・関東)大震災が発生しました。


これはマグニチュード 9.0 という、国内の地震観測史上最大の地震で、大規模な津波も加わり、死者一四〇〇〇人超、行方不明者を合わせると二万五千人以上(同年 4 月末時点)で、一九九五年の阪神・淡路大震災の規模を大幅に超える未曽有の惨事でした。


その上、被災地中心部にある福島原子力発電所では、津波による被害(実際には、群発地震や津波という自然災害への不十分な対策による、人災なのですが)で、六基中四基が爆発などの大規模事故を連鎖で引き起こし、現在はそうした大きな事象はとりあえず終息しているものの、海や土壌の放射線汚染のため海産物・農産物の捕獲や生産、出荷に現在でも制限が続き、土壌の除染の予算も不足し、がれきの処分場や(そもそも原子力発電の構造的欠陥からくる生産物といえる)核燃料廃棄物の処理場も見つからず、未来に単に解決を先延ばししようとしている・・・等々、大きな不安材料が続いています。


こうした痛ましい出来事に遭ったとき(ここでは大震災の被災地に居合わせたこと)、人は常に何がしかの意味づけをせずにはおれない性質を持つため、ただ淡々と「たまたまそういう場所やタイミングに居合わせてしまった」などとは思いにくく、さまざまな「だからこうなった」という考えをしやすいものです。


代表的なものは


①「神(運)は不公平だ!私はこんなに真っ当に生きてきたのに!」(恨み、怒り)
②「自分は悪い人間だから、罰が当たった」(自罰、自己嫌悪)


の二種の考え方ですが、残念ながらどちらも余計に自分にストレスをかけ、心身を不調にするもととなります。

それに対して、自分を力づけてくれるのは、以下のような考え方です。


③「大変だが、この出来事は自分に何かを気づかせ、学ばせ、以後、より良い人生を送れるようにするためのものである」

書いた人 浜野ゆり : 2012年10月25日 07:07