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(9)「適度」なスピリチュアル生活――怒りや恨みは自分を破壊する

2012年10月17日

以前、自動車免許更新に行った際の講習で上映されたビデオを、私は今でも覚えています。


それはシングルマザーの女性が、一人息子を無免許運転か何か、ともかく著しく違反した若者にはねられ、亡くした事例でした。
実際にあった話をもとに再現したものと思われたが、印象的だったのは、母親が事故を機に、自らの人生もめちゃくちゃにしてしまったことです。


もちろん、心無い人の運転により息子を奪われた悲しみ、運転者への激しい怒りや恨みは当然のことだし、相手は決して許されるものではありません。
母一人子一人で、息子を生きがいにしてきたであろうだけに、自身のその後の生きている意味も見失ってしまった時期があるのも仕方ないし、その衝撃はいかに大きいか、想像に難くありません。


ただ問題なのは、加害者を恨むあまり、それ以外のこと――例えば母親を気遣って連絡してくれた友人や、何か手伝いを買って出ようとした近所の人たちの好意をも拒絶し、一人家にこもったまま、社会との接触を断ってしまったことです。


そして毎日毎日、加害者を恨み、こんな悲惨な体験をさせた運命を憎み続けました。
このため一層うつ状態が強まり、仕事も辞めてしまい、ますます孤立していったのです。


ビデオはそこで終わっていたが、その後の経緯は、(自暴自棄になっていたので食事もまともに摂らないようになっていただろうから)病気にもなるだろうし、(退職してしまったので)経済的にも困窮したでしょう。
一時的には世を恨み、何もかも投げ出したくなったとしても、途中で、なお自分を気にかけ、手を差し伸べようとしてくれている人々に気づき、感謝しながらその助けに頼ることができていたら、その後の立ち直りも徐々に進み、生活の立て直しもできただろうにと、とても残念に思いました。

書いた人 浜野ゆり : 2012年10月17日 07:06