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(3)感謝VS選民思想・・・誤解されがちな「成功心理」

2012年10月31日

③時間が条件のもの


例えば「小学1年生と中学1年生は、どちらが偉い?」と訊かれたら、どう答えますか?
「はあ?年齢によって発達状態が異なるのだから、単純な比較などできないでしょう」と思うのではないでしょうか。
さらには、中学生も30歳、60歳、80歳の人から見たら、小学生と五十歩百歩だ、ということになるでしょう。


こうしたパターンの誤解は、特にスピリチュアル系の観点で「魂がどれくらい進化しているか」という話題のときに散見されます。
スピリチュアルな考え方では、「人は何度も生まれ変わり(輪廻転生)を繰り返して、魂の発達・進化をしていく」というのがあるのですが、そこでは「転生回数が少なく、まだ未熟な魂」と「何百回も転生をし、解脱間近な、成熟した魂」まで段階があるとします。


魂が成熟するには、この世での様々な試練を積む必要があるのですが、例えばある人が繰り返し同じ失敗をして思うように人生を進めないでいる場合に、差別意識のある人による解釈は「まだあの人は魂が未熟だから、失敗の理由にも気づけないのよね。かわいそーに(失笑)」となります。


一方、「未熟」な人がより「成熟」した人たちに嫉妬や嫌悪感、怒りなどを抱くのも見当違いで、その不要なネガティブエネルギーで本人が一番疲れてしまうでしょう。


本来、魂の進化の観点とは、「誰もが未熟から成熟に向かう途上にあり、自分より未熟な人もやがて今の自分と同じような段階に達するし、今の自分より既にはるかに成熟した魂を持つ人も多くいる。従って魂としての価値に上下はなく、あるのはただ現時点での相対的な発達の程度だけ」というものなのです。


④個性に過ぎないもの


例えば得意な科目が「数学」の人、「国語」の人、「体育」の人、「音楽」の人がいるとします。
どの人が一番偉いでしょか?


どれもその人の個性を示し、それらを生かすことが本人も周りの人たちをも幸せにしやすいでしょうが、「人間としての本質」はどの人も同じだ、というのが平等な考え方でしょう。


仮に、独裁国家で「数学ができる人ほど社会的に優遇し、できない人は死刑にする」という法律ができたとしたら、数学の才能によって強烈な差別が起こるでしょう。


このように、個性に差別意識が付着した時だけ、個性や才能の有無が人としての価値の上下と同一視されてしまうのです。


オーストラリア精神分析協会会長の精神分析医ネヴィル・シミントンはその著書『精神分析とスピリチュアリティ』の中で、その社会の心理的・社会文化的成熟度に応じて宗教も3段階あると述べています。


それは「原始的宗教」「成熟宗教」「自然宗教」なのですが、
「自分の宗教だけが正しい」と考える段階は原始宗教の段階で、この段階の信者たちが多くの宗教戦争を引き起こしたこと、成熟してくると他の考え方をする人たちにも寛容になり、自他ともにためになるような共存法を探る、と述べています。


次回からはまた、「スピリチュアルと理性」記事の続きに戻ります。

書いた人 浜野ゆり : 2012年10月31日 07:08